イタリア食前酒の流儀

2024年3月17日(日)
ナビゲーター:野宮裕介(バール専門家)

トリノの名店『Farmacia Del Cambio』の食前酒

 ヨーロッパの食文化である食前酒。日本ではあまり馴染みの無い文化ですが、言葉自体は耳にしたことがあるでしょう。フランス語のアペリティフという言葉も知られています。

 では食前酒とは、どのようなお酒のことでしょうか。いつ、どのように飲み、どういう意味があるのか。そこを探ると、ヨーロッパの人々の心豊かな日常が見えてくるのです。

 

食前酒の時間とは?

 食前酒はフランスやイタリアを中心にヨーロッパに広まった食習慣で、文字通り食事の前に飲むお酒、または食前に飲むことそのものを指します。

 イタリア語ではAPERITIVO(アペリティーヴォ/アペリティーボ)といい、イタリア人の日常生活には欠かせない大切な時間です。

 ランチやディナーの前に、15分~1時間ほどかけて軽く1~2杯のお酒を飲みます。自宅で料理を準備しながらゆっくり飲んだり、帰宅前または外食前にバールで気分を変えて飲んだり、自分だけの時間や家族・友人たちとのお喋りを楽しむわけです。

 バリスタと話し込むカウンターや、広場に面したテラス席には、そうした心地良い時間が流れています。

 

何を飲めばいいの?

 そこで飲まれるお酒は様々。ワイン(赤、白、発泡)やビールはもちろん、特に人気なのはジンやリキュールを使ったカクテルです。スプリッツ、アメリカーノ、ネグローニ、ジントニック、ドライマティーニなどが代表的。イタリア伝統のベルモットのロックは高齢者から若者まで幅広く親しまれています。

 共通して好まれるのは、爽やかな酸味、ほろ苦さ、ドライな口当たり、炭酸系などでしょう。甘すぎるものは満腹感を助長するのでNGです。

 

ノンアルコールでも大丈夫

 食前酒とはいえ、実はお酒だけではありません。フルーツジュースやトニックウォーターなどの炭酸飲料で食前の時間を楽しむ人も多いですし、食前酒専用の華やかなノンアルコール飲料も販売されています。

 バールではバリスタたちがそれぞれオリジナルレシピのノンアルコールカクテルを作ってくれるので、好みを伝えて注文するのも楽しみのひとつです。

 お酒が好きな人も、お酒を飲まない人も、子供も、妊婦も、運転手も、みんなが一緒に楽しめるのが食前酒の時間なのです。

 

おつまみの鉄則

 食前酒にはたいてい簡単なおつまみが添えられます。バールでもナッツやチップス、オリーブなどが無料でサービスされます。サラミや生ハムの盛り合わせ、ブルスケッタやカナッペなど、前菜(オードブル)の中からオーダーすることもあります。

 ここで最も大事なのは、おつまみでお腹いっぱいにしないことです。軽く飲んで軽くつまめば、強烈にお腹が空いてきて気持ちが高まってくるはず。その時こそ、食前酒から食事に移るタイミングなのです。

 おつまみがいくら無料だといっても、ガツガツ食べ過ぎるのは粋ではありませんし、食前酒の本来の意味から外れてしまいます。

 イタリア語の「アペリティーヴォ」は「開ける」という動詞「アプリーレ」から派生した形容詞で、「胃を開ける(もの/こと)」という意味です。食欲を増進させて、消化液の分泌を促し、その後の食事を楽しむための役割があるのです。

 

オペラに通じる「序章」の大切さ

 オペラ発祥の地でもあるイタリアでは、日常生活は何事もドラマチックな歌劇そのもの。ドラマを盛り上げるには、ある種の「仕掛け」が必要です。

 ゆっくり時間をかけて味わう夕食もオペラの構成に通じるものがあります。前菜(第1幕)から軽やかに始まり、パスタ(第2幕)で心躍らせ、肉料理(第3幕)で感動はピークに達し、ドルチェ(第4幕)でハッピーエンドを迎えます。
最後はエスプレッソコーヒーや食後酒で余韻を楽しみながら夜は更けていきます。

 まだ陽の明るい夕方の食前酒はその⦅序曲⦆のようなもので、食事を美味しくいただき、同席する大切な人との会話を弾ませ、心の豊かさを生むための、重要な「仕掛け」なのです。

 

待ち合わせもスマートに

 仲間たちとの外食の前に、バールで待ち合わせるケースが多く見られます。仕事や用事が終わった人から順次集まって食前酒をスタートさせ、徐々に会話も弾んできて、仲間が全員集まってほどなくしたら食事のためにレストランに向かうのです。こうすれば先にバールに着いた人も遅れる人も悪い気はしませんよね。レストランに遅れるわけにはいきませんが、バールはそうした緩衝材のような役割も果たせるのです。

 日本でもイタリア式のバールをはじめ、カクテルバー、ワインバー、パブ、居酒屋などで待ち合わせて、軽く食前酒を飲んで待つ「0次会」を楽しんでみてはどうでしょうか。ホームパーティーでも、参加者が揃うのを待つのではなく、食前酒を楽しみながら集まる方がスマートですよ!

 

生活にゆとりをもたらす時間

 例えば旅行は誰にとっても楽しいイベントだと思いますが、旅行中が楽しいほど帰宅後の余韻も心地良く続くでしょう。一方で旅行に向けて徐々に気分が高まる準備時間も楽しいですよね?

 食前酒とは、気分を高め、会話を弾ませ、唾液や胃液の分泌を促して消化器官を整え、食事をスタートから存分に楽しむためのウォーミングアップなのです。

 食前酒をせずに食事をしても日常生活は送れるでしょう。しかし、食事を楽しもうと心待ちにする時間をつくることが、心の「ゆとり」の表れではないでしょうか。食前酒とは、日々を楽しく生きる方法のひとつでもあるのです。